たねの日、無事終了致しました。
だんだんマニアック(笑)にもなっていく?
いやっ。初めての方でも大丈夫です!
お米が主食の座につくよりも前に
食されてきた『雑穀』…
お米の採れない育たない地域(主に山岳地帯)では雑穀が主流だったようです。
お酒としても飲まれていたとか。
栄養価も高く見直していきたい食材でもあります。
でも、小ちゃいから脱穀が大変だったり,保存をするために脱穀しにくくするように改良され
脱穀に時間がかかったり、少し苦味があるから(これは、ヒトに食べられないようにいのちを守っている証拠でもあると思います)敬遠されたり、今では食べ方がわからないと思われていたり。
でも、大切に想って研究されたり育ててくださっていた方のおかげで少なくはなってきているようですが残ってくれていて有り難いです。
雑穀の中でも、餅化の方が好まれて来たようで(甘みも感じられたりモチモチするのが好まれたりという背景もあるようです)うるちの方は希少になっているようです。
自分たちが求めるものが
カタチとして残ってくる証明なのかもしれません。
身体にとっては、うるちの方がすんなり受け入れてくれるようで
今で言う、アレルギーを引き起こしにくい事にも繋がっていくのだと思います。
イルチエロも、
意識して雑穀をパンやお料理にも
使って残していけるように考えていきたいです。
私にとって新しい魅力的な食材。
とても有り難い古来の食材。
みんなで作って、使って、活(生)かしてあげられたらいいですね。
きっと、大切に扱えば、こちらにも返してくれるでしょう。
(そんなこと期待してはいけないですが(笑))
「たねのこと。もう一度考える大切に想える時間にもなりました」
あたりまえに?売られている食べ物やたね。
それは、本当にいのちを繋げる食べ物やたねになっているのだろうか?
その食べている食べ物のたねを土に蒔けば本当に芽が出る食べものなんだろうか?
そのものの命を削られている(種を繋げない作物)は栄養価が高いとテレビなど(報道)されたとしてもいのちのある食べ物ではないのかもしれません。疑い出すときりがない。と怒られそうですが
(もちろんどんな作物も生きようとはしているのですが)
生産者さんと繋がる(作っている方と繋がる)とはそういうことも聞けて安心できることにも
繋がるのだと思います。今は、どこにでも売っている自分が欲しいものを買える時代には
なっていますが、本当に何も考えずに買うこと。食べること。
をこのまま続けていいのだろうか?
たねを採ることの大切さ
たねを守ることの大切さ
それを想える時間にもなりました。
みんなそれぞれ、何かを持って帰れたでしょうか。
次回は、また2月くらいに開催出来るかな? ぜひ、一度いらしてくださいませ。
いろんな新たな発見がきっとあると思います。 個人的には、あの何もしないでもスクスク育ってくれる雑草についてもっと知りたいと思っている今日この頃です。
お越しいただけた皆さま本当にありがとうございました。